スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一握の砂 石川啄木

悲しいときやつらいときには
悲しい歌が必要である。
つらいときに明るくなろうとするとますます悲しくなるからだ。
そんなときは、悲しみを悲しみとして 受け入れてみる必要がある。

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)
(1952/05)
石川 啄木金田一 京助

商品詳細を見る


詩というものはまことに難しくわかりづらいものであると
子供の頃感じていた。 
教科書には、萩原朔太郎の【月に吠える】がのっていて
何を言っているのか チンプンカンプンであった。

そんな中、どうしてもいられないような 悲しみや寂しさの中で
スーとしみこんだのが、啄木だ。
気に入ったのは、とにかくセンテンスが短い。
でも短くも ロマンチックで 悲しい詩であったからだ。


東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ


など 哀愁的でロマンチックだ。
そのほかにも、

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ



わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己が道をあゆめり


というような焦り。

とか

己が名をほのかに呼びて
涙せし
十四の春にかへる術なし


ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく


というような郷愁。


どれをとってみても、人間の営みや心情をストレートに詠っている。

啄木自体は、イメージどおり 貧乏であったが、
詩のイメージとは違い、借金をして女遊びで使ってしまうというような面があったようだ。
学生時代には、カンニングや欠席の多さから退学になっている。

性格・素行についてはまるでだめだったようだが、
こんな 人の心に訴える詩がかけてしまうのだ。

まるで、天才音楽家モーツァルト が、その私生活から 借金漬けになり
35歳の若さでこの世を去ったのにあまりにも似ている。

天才は、実に人間的である。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

テーマ : 書評
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
プロフィール

pitschi

Author:pitschi
本を乱読する日々。
このごろテレビがつまらなくなったので
本を読んで 音楽聴いて PCしてます。

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
SEO対策:無料
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。